2011年7月28日

肉との付き合い

私はあまり肉を食べない。菜食主義とかそういうのではなく、単にお腹をよく壊すから。若い頃はそれでもよく食べたが、最近は腹痛の対応なども疲れるのでだんだん食べなくなった。

食通で知られた池波正太郎氏がエッセイで「一人で私が外食するとき、家庭では得られない火力や設備や技術を必要とするものしかたべない」と語っていた。私も、外食するときは家では絶対食べないものを食べたいと思っている。なので肉料理に結構手を出す。こういうときは、美味しかったので、後の痛みはやむを得ないと諦める。これぞザ・食い意地だなと。解脱出来ない私をいつも(文字通り)痛感なのである。ちなみに、そんなポリシーがあるので、よっぽどの店でない限りパスタ料理はまず食べない。

先々週の夫の誕生日は、夫が肉好きなこともあり、マンチェスターでは上等クラスのステーキハウスへ行った。私は5センチ強はある厚みのステーキ、夫はでっかいわらじみたいなステーキをいただいた。ステーキを好みに焼くのはなかなか難しい。イギリスのいいかげんなレストランじゃ、注文した焼き方で出てきた試しがない。そんなくらいなら、「焼き方は?」とか聞くなよといつも思う。そのレストランでは、注文通りにちゃんと焼けていた。満足満足。なぜ、この話を今持ち出したかというと、今日、カードの明細が届いたから。

さて、「肉はあまり食べない」と始めたが、実はこの1年くらい、前より少し食べる量が多くなった。これは、Monoのせい。猫は肉食だ。毎日、ウェットフードを一、二袋ぐらいあげるのだが、その肉肉しい様を見ていると、「なんか肉食べちゃおっかなー」、「毎日毎日肉ばっかで、そんなに美味いのかー?」となってくる。こういう人はあまりいないと思う。基本的に影響されやすいタイプだから。家で食べるときは、塊ではなく挽肉とか煮込みにしてやさしい肉料理にしているけれど。

2011年7月25日

最近のつまみ


「今は何が美味いのよ?」と、実家の母に尋ねられ、今ひとつ、「これです!」と胸を張って答えられるものがなくてちょっと悔しい。あまり実家へ電話を入れる方ではないが、夕飯時に電話して、父親が電話口に出ると、まず必ずその晩のメニューを一通り紹介する。「ザル豆腐に枝豆だ。焼き鳥にカレーもあるぞ。キャベツの漬け物もな。」など。どれも美味しそうだ。

近頃よく食べているのは、日本でもおなじみのスナックえんどう。これを枝豆代わりに。さやごと食べるので枝豆より合理的。筋をとって、さっと茹でて、塩をふるだけ。甘味噌などで和えてもまた良い。英語でシュガーピー(sugar pea)と呼ぶだけあってとても甘くて美味。そして安い。これを酒のつまみにするのだが、夫は「つまみ」を上手に食べれない。皿を目の前にすると一気に食べてしまう。スナックえんどうも、ひとさやずつではなく束で食べようとするので、私に怒られる。イギリス人は、酒をつまみと一緒に呑む習慣がないので、今だ、つまみとの付き合い方が下手だ。うっかりしているとビールがコップ半分になる前につまみの皿が空になっていたりするから、やってられない。

2011年7月20日

お天気便り

「7月15日が晴れだと向こう40日は晴れる」てなことをイギリス人は言うが思いっきり嘘。

先週の15日金曜日は夫の誕生日だった。カラッと晴れて気温も上がった。金曜日と週明け月曜日に有給休暇を取ったので、ロングウィークエンドの始まり。猫もいることだし、泊まりがけで出かけず、日帰りで近くへ出かけようということに。その日は、昼ご飯後に近くの国立公園にドライブ。道中聞いていたラジオでは冒頭あるように、向こう40日は晴れるとか話している。「天気予報では今週末は雨だって言ってたけど、晴れるかもね」など我々の会話。久々に太陽にあたり、心地よい疲れとともに、その日は就寝した。

翌日、雨。しかも豪雨。その翌日、超豪雨。寒い。で、休日最後の日も雨。やっぱり天気予報の方が迷信より正確なようだ。先二日、あまりに雨が激しいので、家の掃除をしたり、本を読んだり、自宅でのんびりしていたが、さすがに最終日は外出。ふと車についてる外気温表示を見ると、なんと13度。寒いわけよね。お天気的にはかなり残念なミニ休暇になった。

そして、水曜日の今日、まだ寒い。うっかりヒーターをつけそうになるが、「7月なんだから」と、ぐっと堪える。そんな感じなので、今は真冬に着るパジャマを着て暖をとっている。

実家の母は、「暑くて寝られたもんじゃない」とか、言っている。岩手ですらそんななんだから、日本全体オーバーヒートしているんだろうなと。この涼しさ通り越した「寒さ」、おすそ分けしたい。


写真は、その「晴れた日」のお昼ご飯。冷たいスパゲッティのパセリ、トマト、レタス和え。味付けは、オリーブオイル、塩、白のバルサミコ酢。この類いのメニューはここ数日はとってもじゃないが食べる気がしない。風邪引きそうだ。

2011年7月19日

感動した

女子W杯決勝は、日曜日のゴールデンタイム放送だった。かぶりつきで観戦。
日本が優勝したからではなく、試合として、久々にいい試合を観た。
こちらの解説者もそう言っていた。

6月に帰省したときに、日本選手団の出発前インタビューが放送されていたこともあり、今回のW杯は注目していた。イングランドがフランスに敗れた後は、こちらでの注目度は一気に鎮火したけれど。

決勝トーナメントに進んだ日本をみていて、「どうも負ける気がしない」という感じが常にあった。明らかに相手勢に押されていてようと、「どうもこのまま負ける気がしない」のだった。そう感じる試合ってそう多くはないし、そう思う裏付けもない。

どの選手もみんな個々に優れていたが、沢さんという人はすばらしい選手だなと。その人がそのポジションにいることで安心感がある、もしくは、肝心なときに肝心なところへいてくれる安心感のある選手だなと終始感心していた。

久々に興奮した夜であった。

ちなみに、「イングランドは今大会で唯一日本を破ったチーム」と試合後はそのコメントばかり。ポジティブというか図々しいというか。

2011年7月11日

野菜のはなし


毎週届く「野菜ボックス」にそら豆が入ってきた。今年初。我々が購入しているボックスは、値の張らないものなので、入ってくる野菜はいわゆる旬のものがメイン。一番出回る時期はやはり安い。はしりや訳の分からないオフシーズンのはずの野菜とかお高いものは入ってこない。それが、気に入っている。

野菜ボックスで足りない野菜などはスーパーや他の商店で買ったりもする。このとき、レーベルを見る方である。ちょっと高くても、イギリスのものを買う。遠くてもせいぜいヨーロッパ圏。遥か遠い国から飛行機に乗ってやってきた野菜はあまり買わない。しかし、「地球に優しい」とか、「エコ」とかそういう言葉はあまり好きではないし、過剰にそれを押し付けるのも嫌いだ。環境意識はあるものの、私は、飛行機にも乗るし、自動車も所有している。面倒になって適当なゴミの分別をすることもある。だから、環境保護推進派などでは全くない。

人々が自国で取れたものを買うことで、自国商品の需要が増え、輸入商品の必要が減れば、カーボンフットプリントも減るかもしれないと。同じことは、有機野菜にも言える。有機野菜を育てるのは、とても大変だ。だが、環境的には非常に良い。体に良い(実際、有機野菜もそうでないのも栄養的には変わらないらしい)とか、おいしいとか自分のために有機野菜を買ってはいない。有機野菜の需要が増えれば、それだけ、有機野菜の生産が必要になってくる。これが、環境破壊を少しでも抑制出来れば、いいなと。小さいことだが、多くの人がそう思えば変わってくるかもなーと。

週末、スーパーでアスパラガスを見かけた。「おや、まだアスパラガス?」、と、ラベルと見るとペルー産だった。私が買わないことで、すでに遥々遠方からやってきてしまったアスパラガスは売れ残ってしまうかもしれない。それはそれで、アスパラガスに気の毒なのだが、「ポリシーは曲げられないのだよ、アスパラ君」。

このブログによくコメントを残してくれるシュウさんがおしゃってたが、「昔の日本に戻ろうよ」、「いやいや経済発展のためには無理」という議論、電気が足りない日本で話題になっている、と。近からず遠からず、野菜にもこの「経済」のジレンマがある。貧しい国の中には、野菜を作り、それをシーズンでない時期に裕福な国々に輸出して生計を立てているところも少なくない。

生鮮食品のレーベルを見ながら、「どうしたもんかね」、と、つぶやく私なのである。

写真のそら豆、甘皮剥き途中の様子。この日は、ちょっと小寒かったので(日本から見れば驚きの表現)、温かいスープで頂きました。

2011年7月9日

コーヒー

先月帰省した際、荷物の重量制限が46キロだったことから、今年一杯は間に合うほどの本を持ち帰った。その半分は、二つ年上の従姉から譲ってもらったもの。彼女は、子どもの頃から読書家で、とにかくいつも本を読んでいる。帰国して本屋に行き、膨大な書物を目の当たりにすると、どれから手を付けてよいか分らなくなるので、最近はもっぱら彼女のお勧めを頂いている。ジャンルは実にバラバラ。私自身、活字ならなんでも読むタイプなので、好都合。

さて、持ち帰った本の一冊に長尾智子さんの「あさ・ひる・ばん・茶」があった。そこに共感な一文。「普段のコーヒーを飲む回数の少なさとは逆に、コーヒーを淹れるのは何より好き、という矛盾したような嗜好があります。」

私は、カフェインにあまり強くない様で、コーヒーは一日二杯がリミットである。ただ、コーヒー自体は好きで、エスプレッソポット、カフェティエ(フレンチプレス)やフィルター式(ドリップ式)など揃え、そのときに気分で違うタイプのコーヒーを淹れる。朝は、エスプレッソのカフェラテが好み。カフェティエは、時間がかからないが、他の様式だと、プロセスに時間がかかるので、心に余裕がないと出来ない。平日の朝は、どうもバタバラしていてコーヒーを優雅に入れる余裕がない私。私のカフェラテが飲めるのは週末になってしまう。しかし、それが、休日の朝の楽しみなのである。

写真のマグカップは愛用のウェッジウッドと言っても、別の年下の従妹の結婚式の引き出物である。結婚式は東京であったが、めぐりめぐってイギリスに戻ってきたマグさん。青いのとペアで出戻ってきた。

2011年7月5日

酒について

酒とは不思議な飲み物である。

同じビール一つとっても、美味さが変わる。それは、肴であったり、一緒に呑む人であったり、器であったり、空気であったり。

金曜日は会社の飲み会であった。こちらの飲み会は、日本でいう外国人が集まるパーティなど想像してもらうと分りやすいかも。多くの人は立ち飲みであちこちで適当な話をしたり、にぎやかな音楽がかかり、わいわいしたものが大概である。会社の飲み会といっても、それぞれのパートナーや友人たちも来る場合が多いので、いちいち話は自己紹介。

それはそれで良いのだが、金曜日の夜は、「もうこういうザワザワしたのは疲れるから嫌だな」という気分になった。そして、帰り途中、何がどうなれば、私の酒がおいしくなり、楽しく酔えるのだろうと考えた。

何か一つ良い条件があると良い。文頭に挙げたよう、「美味い肴や料理がある」「店に好みの雰囲気がある」「じっくり聞き入るもしくは語る美味い話がある」「つまみも話し相手もなければ、よい器で酒を呑む」「本当に何もなく缶ビールひとつだが、よい風が吹いている」とか。

金曜日は残念ながら、どれもなかった。まあ、店自体がそういう(私の好きなタイプじゃない)ところだったから、想像のつくものの、どこまでいっても日本人の私は、会社の付き合いだし、と。私の会社の上司は私よりも若く、それ自体に問題はないのだが、どうも彼が選ぶ店の雰囲気や娯楽の好みが合わない。どうして私は楽しめないとストレスに感じるより、私には私の好みがあると割り切ってもいいかなと思った夜であった。